病室で渓太郎の添い寝をする夜。
自分の身体が、海辺にポツンと取り残されているような感覚にあることがよくあった。
その時の私は「巻貝」で、グルグルと巻かれた固い殻の中には渓太郎がいる。
私の添い寝のスタイルがそう思わせていたのだろう。
子ども用のベッドの中で右半身を下にして横を向き、そのまま右腕を直角に伸ばしたら、股関節も直角近くまで曲げる。
伸ばした腕と太ももの間に渓太郎を入れたら、渓太郎の全身を包み込むようにして余った左腕を小さな身体の上に覆いかぶせる。
これで渓太郎の左半身は私の身体の前面に守られ、頭は右腕、足元は太もも、渓太郎の前面は私の左腕に守られる「巻貝スタイル」。
今思えば、自然界と違って外敵がいるわけでもなければ、渓太郎を狙う天敵がいるわけでもない。
がん細胞だって渓太郎の体の中にあるのだから、そんなことでは守れない。
私が渓太郎を守ろうとしていたのは「死」から・・・だった。
「絶対に、死なせない」という思いは、渓太郎の体を包み込むことで鼓動を確認し、呼吸や体温を捉え、わずかな変化も見逃さなかった。
実際に渓太郎が亡くなる日の昼間、ほんのかすかな渓太郎の体の変化を最初にキャッチしたのは、身体に装着していた心電図でもなければ、パルスオキシメーターでもなく、私だった。
それはかすかな瞳の震えで、すぐに看護師さんを呼んで様々な検査をしてもらったのだけれど変化を捉えることはできなかった。
それでも私にはわかった。
(まもなく、そのときがくる・・・)
それはピッタリとくっついていた巻貝の殻にしかわからない、かすかな「死」の兆候だった。
渓太郎が旅立ったあとも、私の「巻貝スタイル」は変わらなかった。
それまで渓太郎の鼓動や呼吸、体温を確認していた「巻貝スタイル」は、中身が空っぽな巻貝となり、夜が来るたび、渓太郎がいないことを私に確認させた。
「いない・・・」
それまで渓太郎を守り続けてきた「巻貝スタイル」は、今度は、現実から逃げ出しそうになる私を守ろうとしてくれていたのかもしれない。
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